今回の旅行の目的の一つ、栂尾「高山寺」です。
このぶろぐのサブタイトル、「阿留邊幾夜宇和(あるべきやうわ)」の遺訓を残した、明恵上人のお寺です。
京都を訪れても距離的・時間的になかなかお参りすることが出来ず、今回念願叶ってやっと訪れることが出来ました。
明恵上人。
ある人にその存在を教えられていろいろな書物を読み、その生き方、考え方にかなり感化されました。
興味のある方は、これこれを読まれたら良いと思います。
さて、蘊蓄はこんなところで。
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とにかく何もないお寺です。国宝や重文など何もない。
と書くと語弊があるかもしれません。ほんとうはそれらの宝庫ですが、皆博物館へ。
現在は、目立った仏像などがあるわけでもなく、そういうものを期待して訪れる人は拍子抜けするのでは。
あるのはただ、静寂のみ。
幸い、訪れたときもほとんど人影はなく。
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苔むした参道を右に折れたところが「石水院」。
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「神護寺」から同じルートを辿ってきた一人旅の男性と女の子の二人組、ここでもやっぱり会ってしまい、何となく気恥ずかしく。
皆、思いは同じらしく、しばしそれぞれ風景に溶け込みながら心の中との対話。
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後鳥羽院の勅額「日出先照高山之寺」。「阿留邊幾夜宇和」の文字も判読不可能な程に。「明恵上人樹上坐禅像」や「仏眼仏母像」。有名な「鳥獣人物戯画」も。もちろん皆複製ですが。
とにかく何もありません。
ただ風景の中に心の中を問いただす、そんなところでしょうか。
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さらに山を登り詰めると「開山堂」、「金堂」が静かに佇んでいます。
「開山堂」では寺のお手伝いのおばさんでしょうか、溝に詰まった落ち葉枯れ葉を、屈み込んで丁寧に手で掃除している姿が。御挨拶も仕損じましたが、こういう姿が「あるべきやうわ」なのかと思わず合掌。

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この石碑の先には、明恵上人の御廟が。
「阿留邊幾夜宇和」。
明恵上人の心に少し触れさせてもらった、印象に残る旅行でした。